アートと心の準備

ニューヨーク(以下NY)という街は不思議で、予期しないときにアートがしばしば目の前に現れます。

電車ではスピーカーをかついだダンサー、公園ではグランドピアノを弾く人やサキソフォンニスト、道でCDを売るラッパー、赤煉瓦の壁にはグラフィティー、駅ではタップダンサー。お金になろうがなるまいが、表現したい気持ちを全面に、多くのアーティストが自ら観客を探して出歩きます。

 

考えてみると、日本では、芸術は「みたい時に自分からみに行く」のが普通かもしれません。アートを楽しむ時、実は無意識に心の準備ができているではないでしょうか。逆に、美術館や劇場を訪れなければ、アートに触れずに何日間も過ごすことができてしまいます。

でも、N Yではそうはいきません。世界中から表現者が集まる分、クオリティーもピンからキリまで。気分が良い日でも疲れた日でも、目の前に現れます。俳優をしている身分としては、この街の表現者の多さとその実力の高さを思い知らされるので、インスパイアされると同時に「上手い!悔しい!」と思ってしまうこともあります。

 

NYがアーティストの街であることは有名ですが、その層の厚さとそれが何を意味するのかは、住んでみて初めて理解した気がします。住んでいるだけで、自分の実力のみならず、自分自身に求める水準が底上げされる街。NYにきて4年目、そんな気持ちをひっくるめ、自分は本当の意味でのニューヨーカーになったんだなぁ、っと、つくづく思う今日この頃です。

 

〜拙筆「テレビジャパンCLUB」コラムより〜

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ニューヨークに到着したての頃。2010年夏。

ブランチライブ 〜セットリスト〜

過ぎたる5月17日、第2弾の単独ライブを開催しました!

 

あー楽しかった!笑った!

そして、歌いたい曲、伝えたいこと、いろいろ込めても時間が足りないものですね。

僕にとって日本はHOME。僕のHOMEでライブが出来るのは幸せでした。あ、ちなみにニューヨークは僕にとってのGIANTSですよ。;)

今回、アメリカのグリーンカードの発行待ちだったこともあり、日本にくることすらままならなかったため、決定が三週間まえ、ブロードウェイ・イン・ジャパンの開催もあり、2週間弱くらいのリハーサル期間で、やるかどうか迷いました。でも周りからの説得もあり、やることを決定。

ところが、やりたい曲のバンド譜面が手に入らなかったり、ピアノ譜面すらでていない作品があったりと、問題に直面。そこを、ブロードウェイ・イン・ジャパンの先生として来日していたテリー・リアングさんとチャーリー・アルターマンさんが協力してくれ、手元にあるスコアを送ってくださり、それでも足りない分はバンドマスターの小澤時史くんの力を借りて大急ぎで、耳コピのバンドスコアを作ってもらい、バンド稽古に臨んだとです。そんな彼の手助けを始め、メンバーのがんばりがあり、バンドが見事に仕上がってくれました。

そして、一番うれしかったのが、ネクスト・トゥ・ノーマルで共演した時期に「源のライブにでたい」っていってくれた小西遼生くんが出演してくれたこと!

さらにです!続けて、同じくn2nで共演した新納慎也さん、岸祐二さん、村川絵梨ちゃんまでもが飛び入り参加で参戦、ちょっとしたn2n同窓会をさせていただくことができました。ご参加いただいたキャストのみなさま、本当にありがとうございます。

 

ちなみに、ベーシストの濱田織人さんも、n2nの本番中に舞台上で弾いてた人です!

でもおかげで、みんなでLightを歌ったときは、さすがに泣きそうになりました。

日本って、いわゆる「ミュージカルのイメージ」って、あるじゃないですか。アメリカでもあります。
今回は、そのイメージにハマらない、あるいは打ち破る曲をできるだけ選曲しました。

またやりたいな。どの曲も思い入れがあって、歌った意味があります。

Enjoy!

 

 

  1. Moving Too Fast – Last Five Years
    作・詞:Jason Robert Brown
  1. Giants in the Sky – Into the Woods
    作・詞:Stephen Sondheim
  1. Before the Summer Ends – Dracula
    作・詞:Frank Wildhorn / Don Black, Christopher Hampton
  1. Millwork – Working (日本語に訳付け)
    作・詞:James Taylor
  1. There’s a World – next to normal
    作・詞:Tom Kitt / Brian Yorkey
  1. Let It Go – Frozen (アナと雪の女王)
    作・詞: Christophe Beck / Robert Lopez and Kristen Anderson-Lopez
  1. Love is an Open Door – Frozen (アナと雪の女王)
    作・詞: Christophe Beck / Robert Lopez and Kristen Anderson-Lopez
  1. Origin of Love – Hedwig and the Angry Inch
    作・詞: Stephen Trask
  1. Heaven on their Minds – Jesus Christ Superstar
    作・詞: Andrew Lloyd -Webber / Tim Rice
  1. I’m Alive – next to normal
    作・詞: Tom Kitt / Brian Yorkey
  1. I’ll Cover You – RENT
    作・詞: Jonathan Larson
  1. Light – next to normal
    作・詞: Tom Kitt / Brian Yorkey
  1. Breathe – In the Heights
    作・詞: Lin-Manuel Miranda
  1. It All Fades Away – Bridges of Madison County
    作・詞: Jason Robert Brown
  1. Daughters – John Mayer
  1. Seasons of Love – RENT
    作・詞: Jonathan Larson

 

そして最後に、ライブ中にたくさんのネタを使わせていただいた吉本新喜劇、ありがとうございます。永遠のインスピレーションです。

 

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ネクスト・トゥ・ノーマル〜自分なり解説〜

こんにちは!

「ネクスト・トゥ・ノーマル」絶賛出演中でございます!
http://www.tohostage.com/ntn/

東京国際フォーラムで上演されていた「ドラキュラ」の千秋楽の2日後に初日という、怒濤の稽古スケジュールに一息ついたので、ブログを書いております!

さて、ネクスト・トゥ・ノーマルという作品は、ミュージカルのジャンルを一新も二新もするような作品です。

RENTと同じく、社会性があり、強いメッセージをもった作品として、ミュージカルとして13年ぶりにピューリッツァー賞を受賞しました。演出家もRENTと同じく、マイケル・グライフさんが手がけております。

この作品、僕の出来る範囲で解説してみようと思います。
日本版演出のローラから教えてもらったキャラクターのバックストーリーは深く、リアルです。

ネタバレもありますが、「未見の人はココでストップ!」と書きますので、とりあえずは安心して読み進めていただいてOKです。
ネタバレなし解説は抽象的に、ネタバレあり解説は具体的にいっちゃいます。

・・・・・・・・・・・・・ネタバレなし編・・・・・・・・・・・・

ミュージカルとして初めて、「双極性障害(躁鬱病)」や「統合失調症(精神分裂症)」といった難題をあつかった作品です。

ネクスト・トゥ・ノーマルの素晴らしさは、楽曲、ステージング、セット、演出、どこをとっても見所・聞き所満載なのはいうまでもありません。09年のトニー賞で楽曲賞・主演女優賞・編曲賞を受賞した上に、その年のピューリッツアー演劇賞までもをかっさらっています。

でも、今日このブログに書きたいことは、ネクスト・トゥ・ノーマルという作品のベースにあるものです。楽曲、ステージング、セット、演出は作品をご観劇いただいた人には知ってもらうことができますが、作品の根底にあるものは、もっと深く、上記の全てのルーツになっています。

個人的な解釈、経験から綴る内容も多いですが、僕にとってのネクスト・トゥ・ノーマルは、次のようなお話です。

ネクスト・トゥ・ノーマルの根底は、家族、愛、生きることであり、家族をもち、誰かを愛したことがあり、人生を生きることを選んだことのある人であれば、誰もがこの作品を愛することができると思います。

 

日本では(アメリカも)社会の理解が少ない精神疾患ですが、ネクスト・トゥ・ノーマルでは、双極性障害と統合失調症を「観客が主観的に体験できるように」舞台機構を巧みに扱って表現しており、感情移入できるようになっているところが画期的であります。でも、ネクスト・トゥ・ノーマルという作品のすごいところは、それを全く感じさせない、押し付けないところだと思います。演出は、たくみに舞台機構を駆使し、音楽と照明、衣装にのせて観客をダイアナ視点でストーリーに引きずり込みます。そのため、作中明かされる真実は衝撃的であり、脳・心をゆさぶられるのです。

 

精神疾患に対しては、一般的に偏見が多いといわれますが、最近、それが実はただの無知なのかもしれないと、強く思うようになってきました。

 

ツィッターにも書きましたが、なぜなら、肉体の健康維持は社会にもいいやすい(「ジムいってる」「ダイエットしてる」)のに対して、精神の健康維持はなぜかタブーになっています(「セラピーにいってる」「抗鬱剤飲んでる」)でも、体の健康と心の健康、どちらが大事なのか、いわずもがななのは自明です。心の健康を、社会がないがしろにしてきたツケが現代の社会の闇の部分であるのかもしれません。

 

アメリカでは、精神の健康維持は日本よりいいやすい風潮があります。と同時に、諸製薬会社の強力な働きかけがあり、抗鬱剤などは求めやすく、過剰に処方されるきらいがあり、それに対する提言もN2Nには含まれています。

(「精神薬理学者と私 (My Psychopharmacologist and I)」という曲では、サウンドオブミュージックのパロディーで、「これが私のお気に入り」というメロディーに、アメリカ人になじみ深いお薬の名前が羅列されていて、ユーモアがありますね。)

 

話を戻します。
作中、いわゆる精神疾患にかかった人にとって、セラピーや薬は「回復したい」という「選択」、ということがよく話されます。
どういうこと?って、僕は思いました。
(リサーチをしたり、日本版演出のローラとお話をしたり、個人の経験も交えた僕の見方ですが、以下、少し説明します。
精神疾患を一括りにはできないし、いろいろな状況がありえるので、ただの一例と思って読んでいただけるとうれしいです。)

 

精神疾患に苦しむ人を友人、家族、あるいは恋人にもった人が必ず直面すること、それはつまり、精神疾患から回復するためにあたり、苦しんでいる「本人」が「回復」を選択しなければならない、ということです。
つまり、まわりにいる人はサポート体制を作ることはできても、最後の一歩は一人で歩かなければならない。
愛する人が精神疾患に悩む人は、自信の無力さに気づきます。そして、無力であることが自分のせいにしまいがちです。あるいは、「回復」を選択してくれない相手を攻めます。なぜサポートしている自分を愛してくれてないのか、と感じることもあります。N2Nでは、10年以上もダイアナ(母)を支え続け、自身を捧げ続けた人間として、ダン(父)がいます。

 

「選択」というのは、少し考えると、それは「回復」には不可欠だということがわかります。
精神疾患をわずらっている本人が、それを認識し、能動的に、回復する選択を自分でする必要がある。逆に、本人がそれを拒んだ状態だと、何をやっても回復が見込めないということです。

 

すると、社会が問うべき質問は、「ある人に心の病があるのかないのか」、ではなく、「『回復・生きること』を選択したのかしていないのか」、ということ。人が人に与えられる理解、手助け、愛は、シンプルに、その思考へのシフトじゃないかな、と思っています。社会は精神疾患を否定するのではなく、回復への選択・努力・苦しみ全てを歓迎すべきなのです!

 

ダイアナ(母)自身の力で「回復」を選択する必要があるのです。

 

作中、ダイアナが「回復」を選択する大きな瞬間がいくつかあります。でも、それが一筋縄ではいきません。回りの家族、恋人に大きくまた、影響を与えます。生き甲斐にしていたものを失って崩れる関係があり、空いた穴を埋めるために状況が変わっていきます。

 

なぜそうなるのか、それは、「コントロール」を手放すからだといいます。精神疾患をもつ彼女にとって、さまざまな症状は自身の環境をコントロールできるものであり、逆にいえば「回復=そのコントロールを手放す」ということになります。(もうN2Nをご覧になった人であれば、なにがダイアナにとって「コントロール」をもたらす存在なのかは、お分かりですね。)

(「コントロール」の例をあげると、例えば、極限レベルのストレスを感じている人が、拒食症に陥ることがあるかもしれません。それは、回りの環境のコントロールが効かない中、唯一自分の食べる物はコントロールできる。そこに安心感を感じてしまいます。そこに、「痩せたね」「きれいになった」などと回りから褒められようものなら、体に対するイメージとともに脳内でその回路は増幅され、いよいよ抜け出せなくなってしまいます。)

 

「コントロール」をもたらしているものが、実は回復をさまたげているということを認識することが、回復には必要不可欠です。しかし、簡単に「手放す」ことなどできないのです。ダイアナにとって、「それ」を手放すことは、生きる意味を失うことに等しい。そこを、家族がサポートをし、彼女を助けようとしている。家族の物語、家族の愛、回復への道、これが、N2Nの根底にあるのだと思っています。

 

ところで、こんな重いテーマのようで、ネクスト・トゥ・ノーマルは出だしから痛烈な自虐ユーモアを加えて軽快に話のベースがしかれます。そこが、アメリカらしくあり、ほっとさせてくれるところがあります。(正直、ユーモアが日本語では伝わってない部分もありますが。。 僕がアメリカで観劇したときに会場が爆笑するような台詞が、日本では僕一人だけ笑っているところも多いです。でも、それは文化の違い、感覚の違い(例えばマリファナ)だったりするので、仕方ないかもしれません。そこを、キャスト・スタッフはなるべく明解にしようとして頑張っているので、観察してみちゃってください!)でも、なぜこれほどユーモアがふんだんなのか、それは人間であれば誰もがクレイジーな面をもっていて、少なからず似たような状況を経験したことがあるからなのかもしれませんね。あなたは、クレイジー?Who’s Crazy?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、以下より、ネタバレに入っちゃいます!

 

 

 

 

 

 

 

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あんまり細かく書くのも、解釈の余地とかを残すことも大事なので、要所だけ。。。

まず、作品中、衣装、照明、セットで顕著な色の使い方ですが、それぞれの色には大まかに意味がふりわけられています。

青=ノーマル
赤=クレイジー
赤+青=紫=next to normal
黒=弔い、死
白=ノーマル

といった具合です。

たぶんお話の中で、ややこしくなるのが二幕の後半だと思うのですが、なぜダイアナがでていく必要があったのか、なぜダンにゲイブが見えたのか、とか。

日本版演出のローラとお話をした上での、ゲイブの存在理由。(もちろん、これはN2N作中の解釈であり、精神疾患に対する治療の善し悪しをいえるものではありません。日本では、二ヶ月以上続く悲しみは薬で治療する必要があるというガイドラインがあるそうです。)

 

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17年前、生後8ヶ月のゲイブを失ったダイアナは、悲しみが続き、精神科医にかかったところ「4ヶ月以上続く悲しみは病気であり、薬で治療する必要があります」と告げられる。

ダイアナはゲイブを失った悲しみ、喪失感を一人の力で処理しきる前に、薬漬けにされ、感情を感じなくさせられる。

失ったゲイブの代わりを生むために、二人目の子どもを作る決心をする。ところが、生まれたのは女の子(ナタリー)であったため、ダイアナは悲しみを昇華する対象としてナタリーを愛することができない(「彼女(ナタリー)は知っています。あの子を生むことにした訳は。私は彼女を病院で抱くことができなかった。」)。

覆いかぶさる悲しみに、双極性障害の治療のためにダイアナはますます薬漬けにされ、悲しみの種と向き合わずに、感情にふたをし続ける。

ある日、その押さえられ、処理されなかった悲しみのはけ口として、幻覚症状が現れ、ゲイブがダイアナに見えはじめる。ダイアナは統合失調症を発病。

ダイアナはゲイブの幻覚に酔い、心地よさを見いだし、彼を完璧な息子像にしたてあげ、恋人のように接し、この一種の中毒状態から抜け出せなくなってしまう。

・・・

精神薬理学者と私 (My Psychopharmacologist and I)ー
ゲイブがみえている幻覚症状を治療する為に、ますますダイアナは薬漬けにされます。
「セックスをする意欲が全くないんです」という台詞。これはアメリカでよく語られる抗鬱剤の副作用にかけたジョークですね。

・・・

I Miss the Mountainー山の起伏を双極性障害の起伏に例えている歌。薬浸けにされて感情を感じられなくなったダイアナが、感情が豊かだった時代を懐かしむ。「精神薬理学者と私 (My Psychopharmacologist and I)」のダンの歌詞でも、「若々しく愛した、生き生きした妻を」の「生き生き」は英語では”She was wicked and wired”、つまり若い頃からダイアナは感情の起伏の激しい(wired)女の子だったことを歌っています。

ダンは感情の起伏が元々激しかったダイアナを愛し、ダイアナが統合失調症を発病した後、さらに献身的に彼女に自身の生きる意味をささげて、彼女のためにつくす。ダン自身がどのようにゲイブを失った悲しみと向き合ったのかは、作品中まだ触れられていない。

・・・

ダイアナ、自殺未遂。

・・・

ECT (電気けいれん療法)を受ける。

・・・

記憶喪失。

・・・

家族と記憶を辿る。何かが思い出せない。

・・・

オルゴールを発見。

・・・

ゲイブを思い出す。

・・・

I’m Alive (Reprise)ー幻覚が再び見える。

この時、ダイアナは初めて、回復への道のりを妨げるもの
として、ゲイブをみます。「回復」を「選択」したダイアナは、ゲイブの幻覚の心地よさに酔うことは、家族を崩壊に導き、自身の命をも奪いうるものだと認識する。これは、初めてダイアナがゲイブを離れようとする瞬間です。

・・・

Dr.マッデンに会うが、追加治療を拒む。ダイアナにとっては、薬やECTを使った対症療法ではなく、症状の根本原因、17年前に向き合わなかった喪失感、悲しみと向かい合う必要があることを、Dr.マッデンに伝える。

・・・

So Anyway(とにかくでていく)ーダイアナとダンがリビングで二人。ダイアナはダンに、17年間ふさぎこんでいた悲しみと
向き合わないといけない、そのためには家にはいられないことを伝える。ダイアナとダンの相互依存を断つためにも、幻覚が見えてしまう家を離れるためにも、ダイアナはそれをダンに伝える。

ダイアナが、去る。

家にはダン一人。ダンは、ダイアナがでていったことによって、17年間ダイアナに捧げて生きていた意味を失う。初めて、自分自身がゲイブを失った悲しみと向き合っていなかったという現実が降り掛かる。その瞬間、ゲイブが見える。

・・・

Light(エンディング)
この曲がなぜ「光」なのか、僕なりの解釈ですが、そこには「回復」を「選択」した人たちの物語があるからだと思います。

ナタリーにとって、例え母が家をでても、それは回復を選んだ為に必要な一歩。そこには光がある。

ダンはDr.マッデンと会っている。「誰かを紹介しましょうか。あなたを診てくれる人を」。ダンも初めて自分の悲しみと向き合う「選択」をする。光。

ゲイブ「夜が明けていく。なぜこんなに長く、彷徨っていたのか不思議だ。光が世界を新しくみせる」。ゲイブはダイアナとダンが共有する思い出であり幻覚であることを考えると、誰の言葉なのか、想像をはせながらきくと、意味が広がりますね。光。

エンディングでナタリーが初めて誕生日を祝ってもらう瞬間。「それをゲイブも上からみつめて」とローラとドンティにいわれました。演出の中で一番好きな箇所かもしれません。

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深い作品なだけに、違った解釈の余地はいくらでもあると思います。

それから、自身でみて発見することの楽しみというのも、舞台観劇の醍醐味だったりしますね。

以上、さらっとですが、僕なりに解説してみました!

まだ29日まで日比谷シアタークリエで上演しております。ぜひ、みにいらしてください!兵庫公演は10/4~6です。

「キング牧師暗殺とソウルミュージックの栄華盛衰のお話 in メンフィス」

こんにちは!

こちらのブログ、興味のある方は先々週ドラキュラブログに投稿しましたブログ記事と併せて読むといいかもです。元はドラキュラ公式HPのブログにのってます。
http://blog.fujitv.co.jp/dracula_the_musical/index.html

しばらくアメリカのメンフィスという街で「ミス・サイゴン」に出演しておりましたので、いろいろと勉強させていただきました。そのお話をもう少しだけしたいなと思いました。

メンフィスといえば、かの有名な黒人人権活動家のキング牧師が暗殺された場所です。その現場となったLorraine Motelというモーテル、当時の状態を保存され、今ではアメリカ公民権博物として、見応えのある観光スポットになってます。

Photo Apr 22, 3 08 19 PM

ニューオリンズに匹敵するくらいの音楽の街であったメンフィスで、音楽が全盛期を迎えたのが60〜70年代でした。ところが、キング牧師の暗殺直後から、メンフィスのソウルミュージックシーンは衰退の一途をたどったといいます。

僕にはそれがなぜなのか、とても気になりました。

stax recordingソウルミュージックといえば、一般的には黒人音楽として知られています。ところが、実は、メンフィスのソウルミュージックシーンは、意外にも黒人と白人が入り交じって音楽を作っていたと言われています。60年代のアメリカは人種差別が顕著であり、黒人の公民権もまだ獲得されておりませんでした。

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そんな時代に、スタックス・レコードというスタジオでは、肌の色に関係なくミュージックを愛する人が集まり、ソウル・ミュージックの歴史を紡ぎだしていたのです。ある意味、当時のアメリカでは非常に前衛的な人たちでした。

ソウルミュージックが全盛期を向えていた1968年、事件が起きました。

4月4日 ー アメリカ公民権運動指導者のキング牧師が、メンフィスのモーテルで何者かに暗殺

Photo Apr 22, 2 40 21 PM

この事件により、状況が大きく変わったのでした。

キング牧師の暗殺を受けて、アメリカ国内の多くの都市で怒りに包まれたアフリカ系アメリカ人によるデモや暴動が巻き起こり、黒人の白人に対する怒りが頂点に達しました。

Dr.-Martin-Luther-King-Jr.-came-to-Memphis-to-support-striking-AFSCME-sanitation-workers-and-was-assassinated-there-shortly-after-he-marched-with-them

スタックスレコードでも黒人と白人のアーティストの間で緊張が高まり、音楽制作が滞りました。キング牧師が射殺されたモーテル自体が、当時の黒人と白人のミュージシャンの演奏後のたまり場だったということも、両人種のミュージシャンを離れさせる要因にもなりました。

その間、メンフィス以外で街では、他のレーベルがミュージシャンを引き抜き、Motownというジャンルを確立していきました。Motownを一言で表すと、「ポップがかったソウルミュージック」だそうです。いいかえると、白人向けの黒人音楽ジャンルだそうです。Motownが人気が高まるなか、ソウルミュージックを作り続けたスタックス・レコードは経営を再建できず、衰退の一途をたどったのです。

と、それほどまでの影響を、キング牧師の暗殺という事件はソウルミュージック界に及ぼしたのです。

もとい、Stax Recordsでソウルミュージックが生まれたということを考えるとこうなります。

スタックス・レコードがなければソウルミュージックは生まれず、ソウルミュージックがなければ Motown は生まれなかった。

 なんだか皮肉な宿命ですね。

キング牧師の暗殺自体、謎につつまれたままです。暗殺者は捕まったもの、なぜ暗殺したのか、誰に支援されていたのか、個人の行いか秘密結社の働きだったのか、不明のままだそうです。

キング牧師が暗殺されていなければ音楽の歴史が変わっていたかもしれないと思うと、不思議な感覚がします。もしかしたら、本年度トニー賞ノミネートは「Motown」ではなく、「The Soul Musical」なんて名前になっていたかもしれませんね。

それはともかく、キング牧師の運動のおかげで、公民権法が施行され、法的側面からの人種差別撤廃の動きを、平和的な手段によって大きく前進させた意味は大きいといえるのではないでしょうか。

拳銃繋がりといっては変ですが、メンフィスでPhoto May 23, 1 32 45 AM生まれて初めて射撃場にいってきました。理由はというと、ミスサイゴン劇中で銃を使うからです。

拳銃は好きではないですが、映画や舞台では決して欠かせない要素です。なので、俳優として、一度撃ってみる経験はあった方がいいと思いました。指先に恐ろしいほどのパワーをもつ感覚を身を持って経験しました。小道具の拳銃でも同じ意味だということも理解しました。
拳銃の射撃音って、ものすごく大きいんです。映画でみるとポンポンと撃ってる感じですが、まともにあんな打ち方をしたら一瞬で耳をやられてしまいそうです。とくに室内で撃った場合。そういったリアリティーを知ることは僕にとってはとても大事でした。俳優として特に。

長々と書きましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

辛源


P.S 7月の2週目に日本に帰国予定です。

「ミュージカル ・ドラキュラ」、8月23日〜9月8日, 2013

「ネクストトゥノーマル」、9月6日〜10月7日、2013

に出演いたします!

詳細はコチラ→ http://www.genshinactor.net/news/index-j.html

ライブセットリスト

こんにちは!

ライブを終え、ニューヨークに無事到着しました!

とりいそぎ、ライブのセットリストだけ、ブログに載せたいと思います。

またライブについてのブログは落ち着いてから書きます。明後日からさっそくミス・サイゴンの稽古でメンフィスにいっちゃいます。

ではでは、セットリスト、お待たせしました!
時間のあるときに、僕が気に入ったパフォーマンスのyoutube linkも張っていきたいと思います。

第一部

1. The Old Red Hills of Home – Parade
Instrument: Piano
Singer(s): Gen

2. ダモクレスの剣 – Rocky Horror Show
Instrument: カラオケトラック
Singer(s): Gen

3. Dancing Through Life – Wicked
Instrument: Piano
Singer(s): Gen

4. Popular – Wicked
Instrument: Piano
Singer(s):Kasajima

5. パン・ヨーロッパ – Mitsuko
Instrument: Karaoke
Singer(s): Gen

6. Why – Tick, tick…Boom!
Instrument: Piano
Singer(s): Gen

7. Sun and Moon – Miss Saigon
Instrument: Piano
Singer(s): Gen & Marika

8. Bruno Mars – Just the Way You Are
Instrument: Guitar arrangement
Singer(s): Gen, Marika

BREAK

第二部

9. Left Behind – Spring Awakening
Instrument: Piano, Cello (渡部), Violin (手島), Guitar (Saif)
Singer(s): Gen, Marika, Kasajima

10. Falling Slowly (Reprise) – Once
Instrument: Piano, Cello (渡部), Violin (手島), Guitar 1(Saif), Guitar 2(Gen)
Singer(s): Gen, Marika, Kasajima

11. Agony (Reprise) (オリジナル邦訳) – Into the Woods
Instrument: Piano
Singer(s): Gen and Kasajima

12. Hero and Leander – Myth and Hymns
Instrument: Piano
Singer(s): Gen,

13. On My Own – Les Miserables
Instrument: Piano
Singer(s): Marika

14. Bring Him Home – Les Miserables
Instrument: Piano arrangement
Singer(s): Gen

15. Seasons of Love – RENT
Instrument: Piano
Singer(s): Gen, Kasajima (Male soloist), Marika (Female Soloist)

アンコール

16. I’ll Cover You (邦訳) – RENT
Instrument: Piano
Singer(s): Gen, Kasajima

ソロライブのお知らせ

[完売いたしました。This show is SOLD OUT]

こんにちは!

このたび、初ソロライブを開催することにいたしました!GEN_SOLOSHOW_web
チラシデザイン:Mayumi Ando


辛 源
Gen Parton Shin

初ソロライブ ~ミュージカル・スペシャル・セレクション~


俳優「辛 源」がお送りする、初ミュージカルライブを開催いたします!
辛 源が愛するミュージカル・セレクションをメインにお送りします。
Sondheim, Larson, Wildhorn, Schönberg, Sheik, Brown…


日時:3月29日(金)
OPEN 18:30 / START 19:30
END 21:40(予定)
※途中、休憩(20:20~20:50)が入ります。

会場:The GLEE (神楽坂) http://theglee.jp/
会場までの行き方:http://theglee.jp/access

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料金:自由席 4000円(税込み)ワンドリンク付き
立ち見(満席の場合)2500円(税込み)


☆★☆スペシャルゲスト☆★☆
笠嶋俊秀(オフィスミラクルボックス)
ダンドイ舞莉花(東宝芸能)

Band:
小澤時史(key)
渡部玄一(Cello)
手島宏夢(Violin)
Saif Al Mannaei(Guitar)

—-

会場イベントページ:http://theglee.jp/artist/2013-3-29

予約フォーム:http://theglee.jp/reservedform

お問い合わせ:
ticket@theglee.jp
Tel: 03-5261-3123

—-

制作協力:Kanako、田澤悠、曹政、野田耕平、上田一豪
共催:Misa Shin Gallery

「セールスマンの死」&「ジーザス・クライスト・スーパースター」、そしてもう一人のフランケン・フルター発見☆

お久しぶりです!

2ヶ月近くぶりのブログです。一度勢いを失ってしまったのですが、再スタートを頑張りたいです。

NYに来てから一週間を少し過ぎました。

ようやく住居も落ち着いたところで、4月から5月末までの演劇学校に戻る(1年コースを現在休学中)準備をしているところだったのですが、先生に帰ったことを伝えると、「じゃあ授業に参加したらどうだ」といわれ、本来4月開始のところを特別に今週から授業にちゃっかり参加しちゃってラッキー(実は朝ネムイ。。)、といった具合です。

そういえばロッキーホラーショーが終わってひと月経ちましたね。体重が元に戻ってきました!もう3−4kgは落ちました。まぁせっかくつけたのに、と思われるかもしれないのですが、実はこの方が体にはいいのです。今だから言えるのですが、体の上下バランスを上寄りに鍛えすぎてしまったため、腰を痛めてました。なので、上半身を軽くして腰の負担を減らし、逆に土台となる下半身やインナーマッスルをさらに鍛えることが今後の課題となりそうです。それでも、筋トレを始める前よりはまだ4kgくらい重いので、ここら辺での維持でいいかなと思ってます。上下バランスがとれ始めたらまた鍛え始めるかもしれません。欧米ではちょいマッチョくらいがフツウなんですよね。みんなデカイんです。笑

さて、ニューヨークに来てからブロードウェイ作品を2作品みました☆

一作目はアーサー・ミラー作「セールスマンの死(Death of a Salesman)」、二作目はアンドリュー・ロイドウェバー作曲のミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」です。

二作品ともパワフルでした。感想を述べていきたいです。

「セールスマンの死」:これだけで一つのブログにするべきではないかと思うくらいに濃く、見事なパフォーマンスでした。朝霧の張った土曜日に朝早く起き、30歳以下が買える30ドルチケットをゲットするべく、劇場に朝8:30から並びました。

ちなみにそのときの薄霧がまるで映画のようだったので写真を撮っちゃいました。

歩合制のセールスマンである父親のビリー・ローマン役はPhillip Seymour Hoffman (ダスティンさんとは血縁ではない。笑)氏で、44歳ながら63歳の役を演じてました。息子ビフ役は映画「ソーシャル・ネットワーク」でザッカーバーグの元親友役を演じたアンドリュー・ガーフィールド氏が抜擢。

この作品自体、”Great American Play”と呼ばれるくらい金字塔的作品で、大学時代のシアター分析のクラスでの必読作品だったために劇本を何度か読んだことがありました。ティスカッションを通してこの作品のテーマである「アメリカンドリームの廃退」や「富への幻想」は、「我が町(Our Town)」や「グレンガリー・グレン・ロス(Glengarry Glen Ross)」とも似ており、とても印象に残っていました。上演されたものは今回始めて観ることができ、1948年という終戦3年後に初演されたこの愛国的でない作品がその年のトニー賞を受賞したという事実に、リーマンショック以降の現在のアメリカにも当てはまるメッセージの普遍性を感じました。

容赦のない資本主義というシステムは、自由競争を促すと裏腹に、お金を稼げなかった人にはその責任をその人の能力に帰結させるという、もろ刃の刃ということがいえるのではなかろうか。アメリカンドリーム、資本主義、「がんばって働けば誰でも金持ちになれる」ということを頭に刷り込まれたら、「金持ちになれなかったあなたは堕落者、能無し」という論理の裏返しになるのだ。だがリーマンショックを例にとると、それは大手証券会社による全世界を巻き込んだ詐欺事件であり、それによって職を失った人間は被害者と表現した方がよっぽど正確なのである。アメリカンドリームという「夢」は、人に自己の盛衰の責任を追わせてしまい、うつや自己嫌悪に陥れてしまう恐ろしい洗脳システムなのかもしれない。そういったメッセージを、演劇を通してミラー氏は 1948年に、発していたように感じられました。

もう一つ、社会の中での男が(当時の。今は女性も含まれよう)感じる稼がなければならないというプレッシャー、父親にはそれが社会構造の問題だと認識できていないこと、さらに親子間で事実というものに今まで向き合うことができていないということ。それを頑に見ず、認めずでここまで来たこと。つまり、アメリカンドリームという幻想の縮小版がビリーの家庭内ではびこっている状態で、どんなに歩合が減って収入がなかろうが、息子に働き口がなかろうが、浮気現場をみられようが、ビリーは息子に「そうだお前はビッグになるんだ。覚えてるか高校のあのフットボールの試合でのお前の活躍・・・」といった具合に、現状をみることが出来ない。見ないのではない。過去の栄光に生きることが防御機構と化しているのだ。とうとう34歳の息子のビフは心にしまっていたものが押さえ切れず、父親に34年間かけられ続けてきた期待という名のプレッシャーから「解放してくれ」るように訴えるのだが、無念に終わる。届かない。なぜならビリーが妻にいうのは、「見たか?あいつが泣いた。俺のために泣いたんだ。やはりあいつは大物だった。とんでもないことになるぞ」と、堂々巡りしてしまう。

客観的にみてて感じたのは、おそらく多くの観客には、家族間で触れられない、話すことが出来ない根底的な問題や思考の違いという部分に時代を越えて共感する人も多かったのではないかと思います。

二作目「ジーザス・クライスト・スーパースター」

これは初見の作品でした。CDもきいたことがなく、ロッキーホラーショーの客入り用音楽(本番前に客席で流れるミュージックです。こだわりのセレクションが盛りだくさん!)のいのうえひでのりさんのプレイリストに「Everything’s Alright」「Gethsamane」が含まれてて初めて知りました。それも楽屋でメイク中に、隣の右近さんに「これミュージカルっぽいっすねー」「え、辛源イギリス人なのにしらないの?これJCSだよ!」みたいなやりとりをして知りました。笑

観劇三日前からイギリスとブロードウェイのキャストアルバムを聞き比べたりして予習していったので、本番は音楽に圧倒されすぎずにみることができました。CDの印象は、「このプログレシッブロック、完全にクィーン、デビット・ボウイ、メタリカ路線だ。でも同時にハーレムのゴスペル教会にいる気分にさせる。なんなんだこれは」でびっくり。ロイドウェバーこんな曲もかけるんだ、あでもそういえばエビータも聞いたことないし。オペラ座の怪人のシンフォニックな印象が自分の中で強かったことに気づきました。(ところでエビータも今週Bwayでオープンしたてです。必ず行きます。)

今回のジーザス・クライスト・スーパースター、実はめずらしくほぼカナダ人キャストです。Stratford Shakespeare FestivalというカナダにあるStratford(シェークスピア生誕のイギリスのStratford-Upon-Havenでない)という町で毎年演劇祭が開かれているそうで、そこで批評家たちに大絶賛をうけBway進出が決まったプロダクションだそうです。

余談ですが、ブロードウェイといえば、役者のユニオン(労働組合)がとても強い力を持っています。これによってギャラの最低額や労働時間の管理がされる訳で、米国内の役者の囲い込み、労働口の確保に関してもとても強い交渉力を持っています。ところが今回のキャスト、ほぼ全員カナダ人キャストということは、アメリカ人の役者がほぼ(2、3名しか)いないプロダクションなのです。その昔、ミス・サイゴンがイギリスからアメリカに来たとき、エンジニア役(フランスとベトナム混血役)をイギリス人の白人俳優のジョナサン・プライス氏が演じることに対してユニオンが「アジア人俳優の仕事の機会を奪っている」としてプロダクションと大もめしたことを考えると、時代は変わって来たのか、景気が悪くてユニオンが譲歩したのか、その詳細も気になります。わかればアップします。

作品の印象ですが、ミニマリスト&モダン、そして圧倒的な歌唱力のキャスト☆

セットが現代的な無機質トーンで、鉄階段やはしごがあり、モダンを全面に出しているようでした。テロップにより曜日の変遷を表現、照明もホワイト調でした。衣装はレザー調のものや、カラフルでモダンカットなスーツ、ジーザスとマグダレーヌは麻や絹調のトーガやスーツのような衣装でした。作品の時代的普遍性をだしている印象でした。

さらにモダンを感じさせられたのが振り付けで、top rockなど、ヒップホップ要素を取り入れたアプローチ。

演出もロックミュージカル的で、はしごの上で歌ったり、セットを動かすのも人力で、RENTやNext to Normalを彷彿させるもので、演技までもミニマリストな印象を受けました。

役者達は珠玉の歌唱力をもった者ばかりで、主役の人は無論、アンサンブルにカナディアンアイドルを優勝した者がいるなど、なんともパワーのあるカンパニーでした。特にジーザスとジュダスはカリスマ性を感じました。

youtubeでハーレムの教会で録音した現キャストのパフォーマンスをみることができます☆

まずはJudas役のJosh Young、低音を響かせながらハイトーンは鋭い。Judasの葛藤をを表現する哀愁があるのは、本人なのか役作りなのかが気になるところ。

このGethsamane、このジーザス、彼がウィグをつけているところ想像して聞いてみてください。

それからもう一人、作中フィーチャリングはこの一曲でしたが、ものすごく印象に残ったのがジーザスの子弟の一人、Simon Sealotes役のLee Siegel。

最後に、一人で勝手にツボにはまってしまっておかしかったことがあります。

ジーザスを磔の刑にせしめたことで有名なPontius Pilate役のTom Hewitt氏、実は悪役で悪名高い役者らしく、なんと2000年Bwayリバイバル版ロッキーホラーショーでフランク・フルター役を、全米ツアーではピーター・パンでフック船長をやっているのです。僕のとてもお世話になった大先輩と重ねってますよね。笑

そんな彼はNYタイムズでフィーチャリングを受けており、そこで「僕の演じた悪役の多くは怒りで煮え返っているんです。フック船長はパンに、Pilateははじめはジーザスに、その後ユダヤ人の群衆に怒っている。僕が普段社会にぶつけられない怒りーそれが僕のせいであってもなくてもーを表現してくれる。」Tom氏は普段は内向的らしい。そこでフランク・フルターを演じた経験を聞かれると、「悪役たちは複雑なキャラクターであることが多く、また、大げさでけばけばしい傾向があります。そのため、普段しないような表現をしなければならないんです。」フランケン・フルターは内向的からはほど遠い性格で、「バックステージで共演者のJoan Jett氏に『いいかげん目を覚まして!あんたはとにかくロックンロールをしまくらなきゃいけないのよ!!』」といわれ、やっとフランク役になれた。」

そんな彼は、同じ年のトニー賞主演男優賞にノミーネートされたのでありました。

以上、久々のブログアップでした。またいろいろ書きまーす。

バイリンガルであること

こんにちは!

今日はロッキーホラーショー大阪初日でした!!
大阪のお客さんは、発しますね!コトバを!笑 客席から具体的なツッコミが聞こえてくるので、面白かったです。ありがとうございます!☆

さて、コトバにかこつけて、ではないですが、

二つ目の投稿で、今日はバイリンガルであること、バイリンガルになる術、について話そうかな、と思いました!

その前に!!
英語が苦手な方にはとっておきのビデオを見つけました☆3分ほどのビデオなのですが、そのタイトルはまさに「WORDS」です。

芸術性と展開の美しさもさることながら、この動画の大きな特徴は、英語での同音異義語に乗っ取って展開していることです。

では、一度ご覧になってから、続きを・・

WORDS from Everynone on Vimeo.

WORDSというテーマの中で3分間で人生を網羅しててなんだかせつないです。。

気づいた方も多いと思うのですが、WORDSというテーマで、いろんな単語の同音で意味が違う部分を、映像を使って美しくつないでます。
こんな動画ですが、英語の参考資料としてとってもいいと思うので、それぞれ単語にどの映像がかかっているか、その意味を説明してみます。
元になってる単語はだれでも知っているもので、Play, Blow, Break, Split, Run, Fly, Light.
一こま一こまと照らし合わせてみると、こういう場面でその単語を使うのか!と、印象に残って覚えやすいかもしれません。
同音異義語を覚えるアプローチとしていかがでしょうか。

動画の単語単語の意味は、このブログの一番下に書きました!すべて簡単な単語です☆でも意味は豊かです。

個人的には最後のスペース、ポチっで終わったところが一瞬なにが起きたのかわからなくて、あ!ってなりました。スペースか。広大な宇宙で終わるとの予想をうらぎって、キーボードでポチ!で終わる。音のキレもいいですね。
で、です。どうして同音異義語の意味を書いたかというと、言語を勉強するときに映像や経験や感情と結ぶつけて覚えた方が遥かに頭に残るからです。

言語のそもそもの存在意義って、サバイバルだと思っています。

話せないと生きていけないので、話せるようになる。

また、話す必要性があることに関しては、脳はそれを学ぶ事を苦と感じさせない。できるかぎりパーソナルにしていく工夫ができれば、飛躍的に言語習得のスピードはあがるのです。


「楽しいのでもっと学べる、学べるのでもっと楽しい。」

の正のサイクルにもっていけば、勝ったも同然です☆

言ってしまえば、バイリンガルの人は、サバイバルとして言葉を学ばなければいけない環境に身を置いていた為に、話せるようになるのです。

モノリンガル(一つの言葉を話す人)の方は、他言語を学ぶ為には、この環境を人為的に作る工夫が大事だということが、なんとなく想像できそうです。(僕は17歳のときから一年かけて韓国語を学び、それを確信しました。その経験については、いつかブログアップしようと思います。)

「人為的な環境」というのは、僕の場合、母が意図的に僕の為にその環境を作ってくれました。
私ごとですが(自分のブログなのでご勘弁を。笑)、ちなみに、僕は10歳までイギリスで育ち、その後日本に移りました。でも、母は日本育ちだったので、イギリスの家では日本語でした。もっというと、母は大学で言語学を、それも子どもの言語習得を学んでいた経験より、家では徹底的に日本語オンリーがルールでした。

子どもの僕には、母が英語を話せて理解できる事はわかっています。でも母は英語で話しかけても無視、あるいは日本語で返す。母は、僕が「家の中」でサバイバルするためには、日本語を話さなければいけない環境をつくりました。それは10歳のときに日本に移るまで続き、さらに毎日30分の漢字の書き取り、土曜日は日本人学校へ、といった具合でした。

いうまでもなく、日本語を話すのはイヤでした。ただ単にメンドクサイんです。脳みそを使うのがしんどいんです。左手でお箸をもってご飯を食べるような感覚です。食べられなくはないけど、非常に労力を要する。

でも、おかげで、僕は日本語を話せるように育てられ、10歳から日本に移ったときには、他の日本の子からは遅れはあるものの、3、4年でネイティブレベルに追いつきました。そして今、こうして日本の舞台に立っています。

ちなみに、(特に育ち盛りの)バイリンガルの人の中には、だいたい2つの言葉に優劣があります。
得意な言語とそうでない言語。
同時に両言語強くなっていくことはありません。自然なことです。
一つが強くて一つが弱いのは、問題ではありません。
タイムラインで話すと、僕の場合は、10歳までは英語が優勢、14歳頃から日本語が追い抜き、で22歳くらいに英語が追いつきました。今はトントンの実力です。

問題となるのは、両方とも中途半端な状態で落ち着いてしまう時です。

両方ともあまり得意ではない。得意な一つの言語がない。つまり、ネイティブレベルの言語がない状態です。
両方話せてすごいね!なんて言われますが、とんでもありません。
危ないシチュエーションです。
意外に多いんです。

そのどっちつかずな状態は、普段から両言語で補い合って話す事に慣れている人に起きやすいです。

たとえばインターナショナルスクールに通っており、バイリンガル同士の友達とのコミュニケーションになれていると、何か一つのA言語での単語がでてこない時、すぐにそれをもう一つのB言語で言ってしまえるのです。すると、はじめにでてこなかったA言語の単語はますます思い出す必要性(サバイバルできちゃう)もなくなり、使わなくなってしまいます。

ですが、いざA言語しか話さないモノリンガルの人と話す事になった時、B言語が使えないので非常に会話がしんどく感じられるのです。いちいちA言語で単語を見つけてこなくてはいけない。

めんどくさいのでA言語のモノリンガルの人と友達になる意欲も減り、バイリンガル同士のコミュニティーでのみつるむようになる。ますます両言語中途半端街道を突き進む事になりそうです。

(もちろん、インターナショナルスクールは子どもにとってはいい影響もたくさん与えてくれます。そもそも両言語学べるようになるのですから。ただ、この一点は陥りやすく、僕も個人的にたくさん目撃していますので、注意が必要だと思い、書きました。)

僕の場合、とてもラッキーだったのはいうまでもありません。
母の教育の例は、遊びたい盛りの子どもにどうやって言葉を仕込むか、ということであります。

大人の場合は少しアプローチを変える必要がありそうです。
大人にあって子どもにないものは、自律心ですね。

動機付けによって、自身でその人為的環境がつくることができます。それが大切だと思っています。

ここで学んでとれることは、英語を話せるようになるには、机でガリガリ文法と単語暗記をするでは、けっして英語を「話せる」ようにはならないということ。読めるようにはなるかもしれませんが。
残念ながら、日本の学生の多くにとっては、サバイバルの対象がテスト、なのです。

サバイバル的環境を作る方法ですが、自分が一番ほしい・興味のあること・ものが、英語、または英語によって自分に近づく、という状況をつくることができれば理想だと思います。

簡単な実例として、上の動画をあげました。「好きな動画にどんな意味が込められているのかしりたい。」
舞台・ミュージカル Loverの方々は、「原語での意味をしりたい!」

ミュージカルに関して言えば、歌の中で音節の制限がある以上、日本語に訳すとどうしてもいろんな意味が失われてしまいます。
それでも翻訳家の方々、キャストの知恵を持ち集めて、すばらしい和訳を作っていくのですが、限界があるのも事実です。

以前出演させていただいたミュージカルRENTも、数え切れないジョーク、レファレンス、韻、言葉遊びが込められています。英語のネイティブでも聞き逃してしまいます。でも、それを知りたい!と思ったときに、それを英語を学ぶサバイバルの原動力につなげられたら、楽しくなるかもししれません!正のサイクルへの第一歩です☆

このテーマについてはまた、書きます!

ありがとうございます!

PS。質問に答えます!
「バイリンガルの頭の中はどうなってるんですか?何語で考えますか?」
答え:(僕の場合)、両方で考えますが、主にその時に話している言語で考えます。でも、韓国語は僕にとって母語ではないので、日本語で考えたものを韓国語に頭の中で変換して話しているときもあります。あとは、その言語に付随する文化によって、例えば、「日本語にしかない感覚」とかがあります。「微妙!」っていう表現がそうですね。英語では表現しにくいです。あとは、大阪のツッコミとか。ないですねー英語には。これは英語で考えようがないです。

動画の単語たち
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
PLAY=再生する、芝居、遊ぶ、スポーツのプレイ(好プレイ珍プレイ)、スポーツをする、(楽器を)演奏する

BLOW=吹奏する、吹く、送風、(お金を)浪費する・無駄にする、吹かれる、(鼻を)かむ、殴る、膨らむ(Blow Fish=ふぐ)、(電球が・ヒューズが)切れる、乾かす(blow dry)、切れる=Break

BREAK=壊す、割る、折る、解散する、ブレーキを踏む、ばらばらにする、(声が)割れる(Breaking up)、別れる(Break up)=Split

SPLIT=別れる、割る、(薪を)割る、開脚(splits)、シェアする、(ボウリングの)スプリット、破れる、(タイツなどの繊維が)伝線する=RUN

Run=走る、たれる、流れる、流れる(running water)、突破する、逃げる(run away)、滑走路(run way)

FLY=飛ぶ、ハエ、チャック、容認する、(ピアノなどの鍵盤の)閉じぶた→FALL=落ちる、倒れる、落ちる、転ぶ、転ぶ、滝、眠りにつく(Fall Asleep)、秋、伐採された(木)、(ふわりと)落ちる(羽)→軽い=Light

LIGHT=軽い、光、ペンライト、(ライターの)火、(聖なる)光、照明、照明、雷(Lightning)→Space=宇宙、スペース
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初投稿です!このブログとは。。

あけましておめでとうございます!

ブログです!!初投稿です!!

いよいよ自分の頭の中でインプットをアウトプットにもっていく時期が来た!!!

今書き留めておく意義があるアイデア・想い。俳優として、オーディエンスのためならなおさらだし、書く事によって自分の考えも深められたらなと思います。

そんな感じでかれこれ半年、やっと始めます。ブログです。

どんな方向にもっていくかはまだよくわからないです。笑
それには理由があります。

アイデア・考えっていうものは、日頃のインプットが頭の中で結びついて進化する瞬間ではないかと思ってます。

平安時代にテレビという発明はあり得なかったはずです。それは、電気自体発見されてないので、想像しようがないためで、発案自体不可能なのです。

でも、電気が発見されたら、電球が発明されて、だれかが影絵で遊んでた。同時に同じ頃に写真ができて、ネガをみた人で頭の中で電球と結びついて、投影を思いついて、拡大投影してみた。そのときにぱらぱら漫画が好きだったひとが、ハッ!って、映画を思いついた、といった具合で、アイデアってものは、身の周りにある当たり前のもの・ことがふと予想のつかない具合で結びついた時に起きるものだと思っています。土台がないと頂点が存在しえないピラミッドのような感じでしょうか。

ちなみに、僕が芸術を愛する理由は、その離れた二つの点を、自分が予想できないカタチで結びつけてくれて、その後の世界の見え方を変えてくれるから。

もとい、インプットの話ですが、つまり、何かを創造したい時にこの既に存在している身の周りの世界(アイデア・もの・ニュース・芸術等)をみるのが大事だと思ってます。すると共通項がみえて来て、頭の中で、いろんな点が結びついていく感覚が好きです。

そんな僕の頭の中の点の結びつきを、多少ながらこのブログを読んでくださる方とシェアしていこうと思っています!

なので、内容はインプット次第(?)らしいです。

でも、僕が興味のある大まかな分野としては、舞台(ストレートプレイ・ミュージカル)、デザイン、アート、言葉、国際政治、貧富の差と企業、起業、英語教育の大切さ、科学、心理学、芸能ゴシップ、お金、愛、筋トレ(これは最近)、教育、映画、セックスと産業音楽、インターネット、パソコン、プログラミング、メディア、雑学、ニューヨーク、韓国、ユーチューブ、文学など、ざっと思いついたところあります。

なので、上の項目で一つでも興味のある分野があればぜひこのブログをのぞいてみてください!タグの項目でもテーマを書こうと思うので、検索できるようにします☆

明日からとツィッターに書いてたブログですが、初投稿を今日しちゃいました!

では、これからどうぞよろしくお願いいたします!!

辛源(しんげん)


(写真は以前、ブランカ君とけんかになった時の写真です。)