「セールスマンの死」&「ジーザス・クライスト・スーパースター」、そしてもう一人のフランケン・フルター発見☆

お久しぶりです!

2ヶ月近くぶりのブログです。一度勢いを失ってしまったのですが、再スタートを頑張りたいです。

NYに来てから一週間を少し過ぎました。

ようやく住居も落ち着いたところで、4月から5月末までの演劇学校に戻る(1年コースを現在休学中)準備をしているところだったのですが、先生に帰ったことを伝えると、「じゃあ授業に参加したらどうだ」といわれ、本来4月開始のところを特別に今週から授業にちゃっかり参加しちゃってラッキー(実は朝ネムイ。。)、といった具合です。

そういえばロッキーホラーショーが終わってひと月経ちましたね。体重が元に戻ってきました!もう3−4kgは落ちました。まぁせっかくつけたのに、と思われるかもしれないのですが、実はこの方が体にはいいのです。今だから言えるのですが、体の上下バランスを上寄りに鍛えすぎてしまったため、腰を痛めてました。なので、上半身を軽くして腰の負担を減らし、逆に土台となる下半身やインナーマッスルをさらに鍛えることが今後の課題となりそうです。それでも、筋トレを始める前よりはまだ4kgくらい重いので、ここら辺での維持でいいかなと思ってます。上下バランスがとれ始めたらまた鍛え始めるかもしれません。欧米ではちょいマッチョくらいがフツウなんですよね。みんなデカイんです。笑

さて、ニューヨークに来てからブロードウェイ作品を2作品みました☆

一作目はアーサー・ミラー作「セールスマンの死(Death of a Salesman)」、二作目はアンドリュー・ロイドウェバー作曲のミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」です。

二作品ともパワフルでした。感想を述べていきたいです。

「セールスマンの死」:これだけで一つのブログにするべきではないかと思うくらいに濃く、見事なパフォーマンスでした。朝霧の張った土曜日に朝早く起き、30歳以下が買える30ドルチケットをゲットするべく、劇場に朝8:30から並びました。

ちなみにそのときの薄霧がまるで映画のようだったので写真を撮っちゃいました。

歩合制のセールスマンである父親のビリー・ローマン役はPhillip Seymour Hoffman (ダスティンさんとは血縁ではない。笑)氏で、44歳ながら63歳の役を演じてました。息子ビフ役は映画「ソーシャル・ネットワーク」でザッカーバーグの元親友役を演じたアンドリュー・ガーフィールド氏が抜擢。

この作品自体、”Great American Play”と呼ばれるくらい金字塔的作品で、大学時代のシアター分析のクラスでの必読作品だったために劇本を何度か読んだことがありました。ティスカッションを通してこの作品のテーマである「アメリカンドリームの廃退」や「富への幻想」は、「我が町(Our Town)」や「グレンガリー・グレン・ロス(Glengarry Glen Ross)」とも似ており、とても印象に残っていました。上演されたものは今回始めて観ることができ、1948年という終戦3年後に初演されたこの愛国的でない作品がその年のトニー賞を受賞したという事実に、リーマンショック以降の現在のアメリカにも当てはまるメッセージの普遍性を感じました。

容赦のない資本主義というシステムは、自由競争を促すと裏腹に、お金を稼げなかった人にはその責任をその人の能力に帰結させるという、もろ刃の刃ということがいえるのではなかろうか。アメリカンドリーム、資本主義、「がんばって働けば誰でも金持ちになれる」ということを頭に刷り込まれたら、「金持ちになれなかったあなたは堕落者、能無し」という論理の裏返しになるのだ。だがリーマンショックを例にとると、それは大手証券会社による全世界を巻き込んだ詐欺事件であり、それによって職を失った人間は被害者と表現した方がよっぽど正確なのである。アメリカンドリームという「夢」は、人に自己の盛衰の責任を追わせてしまい、うつや自己嫌悪に陥れてしまう恐ろしい洗脳システムなのかもしれない。そういったメッセージを、演劇を通してミラー氏は 1948年に、発していたように感じられました。

もう一つ、社会の中での男が(当時の。今は女性も含まれよう)感じる稼がなければならないというプレッシャー、父親にはそれが社会構造の問題だと認識できていないこと、さらに親子間で事実というものに今まで向き合うことができていないということ。それを頑に見ず、認めずでここまで来たこと。つまり、アメリカンドリームという幻想の縮小版がビリーの家庭内ではびこっている状態で、どんなに歩合が減って収入がなかろうが、息子に働き口がなかろうが、浮気現場をみられようが、ビリーは息子に「そうだお前はビッグになるんだ。覚えてるか高校のあのフットボールの試合でのお前の活躍・・・」といった具合に、現状をみることが出来ない。見ないのではない。過去の栄光に生きることが防御機構と化しているのだ。とうとう34歳の息子のビフは心にしまっていたものが押さえ切れず、父親に34年間かけられ続けてきた期待という名のプレッシャーから「解放してくれ」るように訴えるのだが、無念に終わる。届かない。なぜならビリーが妻にいうのは、「見たか?あいつが泣いた。俺のために泣いたんだ。やはりあいつは大物だった。とんでもないことになるぞ」と、堂々巡りしてしまう。

客観的にみてて感じたのは、おそらく多くの観客には、家族間で触れられない、話すことが出来ない根底的な問題や思考の違いという部分に時代を越えて共感する人も多かったのではないかと思います。

二作目「ジーザス・クライスト・スーパースター」

これは初見の作品でした。CDもきいたことがなく、ロッキーホラーショーの客入り用音楽(本番前に客席で流れるミュージックです。こだわりのセレクションが盛りだくさん!)のいのうえひでのりさんのプレイリストに「Everything’s Alright」「Gethsamane」が含まれてて初めて知りました。それも楽屋でメイク中に、隣の右近さんに「これミュージカルっぽいっすねー」「え、辛源イギリス人なのにしらないの?これJCSだよ!」みたいなやりとりをして知りました。笑

観劇三日前からイギリスとブロードウェイのキャストアルバムを聞き比べたりして予習していったので、本番は音楽に圧倒されすぎずにみることができました。CDの印象は、「このプログレシッブロック、完全にクィーン、デビット・ボウイ、メタリカ路線だ。でも同時にハーレムのゴスペル教会にいる気分にさせる。なんなんだこれは」でびっくり。ロイドウェバーこんな曲もかけるんだ、あでもそういえばエビータも聞いたことないし。オペラ座の怪人のシンフォニックな印象が自分の中で強かったことに気づきました。(ところでエビータも今週Bwayでオープンしたてです。必ず行きます。)

今回のジーザス・クライスト・スーパースター、実はめずらしくほぼカナダ人キャストです。Stratford Shakespeare FestivalというカナダにあるStratford(シェークスピア生誕のイギリスのStratford-Upon-Havenでない)という町で毎年演劇祭が開かれているそうで、そこで批評家たちに大絶賛をうけBway進出が決まったプロダクションだそうです。

余談ですが、ブロードウェイといえば、役者のユニオン(労働組合)がとても強い力を持っています。これによってギャラの最低額や労働時間の管理がされる訳で、米国内の役者の囲い込み、労働口の確保に関してもとても強い交渉力を持っています。ところが今回のキャスト、ほぼ全員カナダ人キャストということは、アメリカ人の役者がほぼ(2、3名しか)いないプロダクションなのです。その昔、ミス・サイゴンがイギリスからアメリカに来たとき、エンジニア役(フランスとベトナム混血役)をイギリス人の白人俳優のジョナサン・プライス氏が演じることに対してユニオンが「アジア人俳優の仕事の機会を奪っている」としてプロダクションと大もめしたことを考えると、時代は変わって来たのか、景気が悪くてユニオンが譲歩したのか、その詳細も気になります。わかればアップします。

作品の印象ですが、ミニマリスト&モダン、そして圧倒的な歌唱力のキャスト☆

セットが現代的な無機質トーンで、鉄階段やはしごがあり、モダンを全面に出しているようでした。テロップにより曜日の変遷を表現、照明もホワイト調でした。衣装はレザー調のものや、カラフルでモダンカットなスーツ、ジーザスとマグダレーヌは麻や絹調のトーガやスーツのような衣装でした。作品の時代的普遍性をだしている印象でした。

さらにモダンを感じさせられたのが振り付けで、top rockなど、ヒップホップ要素を取り入れたアプローチ。

演出もロックミュージカル的で、はしごの上で歌ったり、セットを動かすのも人力で、RENTやNext to Normalを彷彿させるもので、演技までもミニマリストな印象を受けました。

役者達は珠玉の歌唱力をもった者ばかりで、主役の人は無論、アンサンブルにカナディアンアイドルを優勝した者がいるなど、なんともパワーのあるカンパニーでした。特にジーザスとジュダスはカリスマ性を感じました。

youtubeでハーレムの教会で録音した現キャストのパフォーマンスをみることができます☆

まずはJudas役のJosh Young、低音を響かせながらハイトーンは鋭い。Judasの葛藤をを表現する哀愁があるのは、本人なのか役作りなのかが気になるところ。

このGethsamane、このジーザス、彼がウィグをつけているところ想像して聞いてみてください。

それからもう一人、作中フィーチャリングはこの一曲でしたが、ものすごく印象に残ったのがジーザスの子弟の一人、Simon Sealotes役のLee Siegel。

最後に、一人で勝手にツボにはまってしまっておかしかったことがあります。

ジーザスを磔の刑にせしめたことで有名なPontius Pilate役のTom Hewitt氏、実は悪役で悪名高い役者らしく、なんと2000年Bwayリバイバル版ロッキーホラーショーでフランク・フルター役を、全米ツアーではピーター・パンでフック船長をやっているのです。僕のとてもお世話になった大先輩と重ねってますよね。笑

そんな彼はNYタイムズでフィーチャリングを受けており、そこで「僕の演じた悪役の多くは怒りで煮え返っているんです。フック船長はパンに、Pilateははじめはジーザスに、その後ユダヤ人の群衆に怒っている。僕が普段社会にぶつけられない怒りーそれが僕のせいであってもなくてもーを表現してくれる。」Tom氏は普段は内向的らしい。そこでフランク・フルターを演じた経験を聞かれると、「悪役たちは複雑なキャラクターであることが多く、また、大げさでけばけばしい傾向があります。そのため、普段しないような表現をしなければならないんです。」フランケン・フルターは内向的からはほど遠い性格で、「バックステージで共演者のJoan Jett氏に『いいかげん目を覚まして!あんたはとにかくロックンロールをしまくらなきゃいけないのよ!!』」といわれ、やっとフランク役になれた。」

そんな彼は、同じ年のトニー賞主演男優賞にノミーネートされたのでありました。

以上、久々のブログアップでした。またいろいろ書きまーす。

「セールスマンの死」&「ジーザス・クライスト・スーパースター」、そしてもう一人のフランケン・フルター発見☆」への1件のフィードバック

  1. ロッキーホラーショーがまた見たいです´`
    ニーコさんのblogに辛源さんの写真がUPされていて恋しくなりました笑
    あの体型負担かけていたんですね(>_<)
    落ち着いたみたいでよかったです♪
    blogがUPされるの楽しみにしています!

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